明日は大人と子ども合同の「イースター礼拝」。只今準備爆進中。メッセージの準備は後回し(笑)
(facebook 4/4記載)
しばらくぶりです。どこから話して良いのか・・・なんということなのか・・・ちょっと長い話です。ごめんなさい、牧師系の話なのでスル―な方はお構いなくです
事の始まりは一か月前、3月あたまに教会の90歳の古参メンバーが路上で倒れられました。心肺停止だったけれど命をつなげることができたということで急ぎ御次男さんと救急センターへ。しかしいくつかの管に繋がれていて意識はない状態。危険だというその状況を聞いた御長男さんが、今生活しているアメリカのシカゴからご家族(お連れ合い・ご子息)と共に急遽帰国。そして、状況は良くなったり悪くなったりしながら3週間ほど経ちました。医学的な判断で、良くてもあと数週間の命かもしれないということに。しかし御長男家族はお仕事の都合等でそろそろシカゴに帰らねばならない。いたしかたないということで、切ないですが事前に葬儀の打合せを一緒にしました。しかしなんたること、皮肉なことに御家族が出国されるとほぼ同時にその古参メンバーは天に召されてしまいました。見込みと違ったのでとんぼ返りするのも大変です。数日後に御長男のお連れ合いと息子さん(お孫さん)だけが葬儀の為に再び帰国されました。日本に住んでいる次男さんが喪主になり、偶然でしたけれど洗足木曜日の夜が前夜式(お通夜的なもの)、受難日が告別式という葬儀を執り行いました。そして、5日のイースター礼拝には喪主の御次男と今回のことで再帰国された御長男のお連れ合いも出席してくださいました。その方はもともと牧師の娘さんであるということで以前から少々マニアックに打ち解けさせて頂いていたんです。そしてその日の夕方の便でシカゴに向かわれるということでお別れしました。お陰さまでイースターも多くの方が来て下さったので豊かにおえられたな、とひと段落つきました。
と、次の日の早朝6時に電話が鳴りました。シカゴに向かっていた御長男のお連れ合いが着陸1時間半前から胸の痛みを訴えられてそのまま機内でお亡くなりになったという連絡でした。はぁ?え?どぉゆこと?
連絡くださった御長男は取り乱していらっしゃいます。僕もにわかには理解できませんでした。彼にとってはつまり父親とお連れ合いを数日のうちに亡くしたわけです。もう悲しすぎる。(もしシカゴ直前のアメリカン航空機内での4/5の顛末を御存じのかたがいらっしゃったら御連絡欲しいです。なにせ航空会社が詳細を教えてくれないとかで、御遺族が悲しんでいます。)
『色々あってシカゴでは教会や牧師との距離ができてしまっているので、葬儀をするにもどうしていいかわからない。陣内さんの知り合いの牧師とかシカゴ近辺にいませんか?いや、そりゃできればこのまま陣内さんにきていただいたらとても助かります。』
・・・行くことにしました(御迷惑おかけした方々申し訳なかったです)。飛行機に飛び乗ってシカゴに向かいました。展開の切なさに一睡もできずな13時間。それこそ彼女が倒れたランディング1時間半前にとても切なくなりました。到着すると、2日前に同じ場所で悲劇を知らされた御長男がお迎えに来てくださっていました(号泣)。そこから3日間御自宅に滞在させていただきましたが、前夜の祈り会を御自宅、告別式を地元のフューネラルセンター(斎場)にて執り行わさせてもらいました。寄り添うことができただろうか?それはそれは悲しい数日でした。御長男とお孫さんの今後がよい方向に進めばいいなと心から祈ります。最終日には「陣内せんせ、自宅と斎場にしかいってませんよね?」とお孫さんからお誘いあり。おじいちゃんとお母さんを一気に亡くされたのに僕にも気を使ってくれて、、、恐縮でした。シカゴのピザとライブハウスを急ぎ堪能しました。感謝。ブルースにも救われました。
御家族には安易な言葉は掛けられませんでした。人としても牧師としても。聖書の受け売りでいうならば「試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」とな。その「逃れの道」とやらが必ずや整えられますように心から祈ります。
僕はシカゴ3日間の滞在の後、3泊5日で土曜日午後帰国しました。そしてなんとかこの日曜を終えられて、改めてこの一週間を振り返りながら色んなことを祈っています。
長文失礼しました。
(facebook 4/13記載)


来月のバースデー2daysライブのチラシです。よろしくどーぞ
m(_ _)m
50への道はあと40日(笑)
(facebook 4/15記載)