2011年3月28日月曜日

むろん、室蘭


 室蘭にある日本キリスト教団室蘭知利別教会の「めばえ幼稚園50周年記念」に招かれてコンサート。園児たたち50名弱と保護者や関係者の大人たちが一緒。大人向けにばっかり話してると、子供たちはザワザワ(笑)。子供向けに話して歌ってから、そしてまた大人向けに移ろうとすると、「もうちょっと歌いた~いい!」なんてカワイイ突っ込み。でもそういうやりとりがこういうコンサートは楽しい楽しい。子供たち、最後まで1時間半もよく付き合ってくれた。ありがと~。







 


 ここの教会の石川まなか・石川宣道 牧師夫婦(お二人とも牧師)が、かつて3カ月だけ「僕んち」に住んだことがあるという関係。山口県から北海道に転勤されたのだけれども、その狭間の時期に僕の実家に家族で住まれたそうな。当時、ウチの実家の教会には牧師さんがいない(無牧という)状態だったのでとても有難かったと後から関係者から聞いた。  


 金曜日の昼過ぎに出かけて行って、千歳空こまでお迎えに来て頂いた。そのまま会場セッティングとサウンドチェック。そして晩御飯へ…。「室蘭やきとり」と言われるものをご馳走になった。美味しかった。「やきとり」というけれど鳥ではなく室蘭は豚肉だとか。ネギではなくタマネギがはさまれているのだ。そしてそれに和ガラシをつける! あと、ラーメンサラダというものが割と当たり前だとかで、カレーラーメンサラダというのを食した。いやぁ~、タメゴローがいたらきっととても喜んだでしょう(^.^)。楽しいひと時に感謝!



 


 今回も豊かな出会いと再会が沢山あって嬉しかったなぁ。みなさん、懲りずにどうぞまたよろしく。この記念企画が終わったら車に物資を乗っけて岩手の方に行くとおっしゃっていた石川宣道先生。道中きをつけて!送り迎えにも感謝。(車窓から↓) 土曜夜に帰り、翌日曜日の準備をしこしこと・・・、ヤバい半徹(^^ゞ


 日曜礼拝のお勤めが終わった後に中野にある野方町教会というところへ速攻出かけていく。実は2003年と2004年にお世話になった教会。当時の僕は神学校に行き直したて。「教会」だとか「キリスト教」なんてものに相当のブランクのあった僕を、広~い心で受け入れて実習させて下さった恩師。その先生が教会を離れるということで送別会をやっていた。なんとか家族で間に合って、懐かしいみなさんとも旧交を温められたし、先生にも直接お礼を言えた。


 なんかだとても、良かった。



2011年3月23日水曜日

ただいま


         (僕がボーカルだったバンド・ノクターンのコンサート楽屋シーン)

                    (高校時代シーン)

 山口県宇部市での市民劇「歌旅の先に~今日も僕らは歌おう~」が終わった。ここ数カ月の色々が結実した一日だった。本当に感謝一杯。公演が昼の部、夜の部の2回公演なので、つまり初日と楽日が一緒にやってくる感じ。その分、スタッフ・出演者、みんなにとって心地よい緊張と解放の一日。

                   (ヤマハポプコンのシーン)

 宇部市渡辺翁記念会館のステージは、稽古に稽古を重ねたみなさんの汗が飛び散った。僕も今までで一番出番もセリフも多かったので、ここ一カ月は週に一度の宇部通いだった。最後には今回書き下ろした主題歌「この街に生まれて」を皆で熱唱。ストーリーがストーリーだけに(陣内大蔵物語パート2)、なんとも言えないこぞばゆさのなか(笑)無事に終われた。友人知人も足を運んでくれた中で、いわゆる本物の(?)高校時代の恩師が観に来てくださった。

「ありがとう、とても良かったよ。あのころを色々思い出した。でも事実は小説より奇なりよね!」
はい、スンマセン。あのまんまを舞台にしたら洒落にならないので(笑)。一応エンタテイメントですから。
                      (共演した子供たちと藤田さん)

                    (笑いと涙の60人の大打ち上げ)



「涙が止まらなかった」
そんなメールをいくつか頂いた。テーマが「故郷再生」であるので、今震災に痛む日本のことと重ねて心が震えたとのこと。山口の人の胸にも今回の災害は確かに傷跡を残しているのだ。 ロビーに置いた義援募金にも沢山の方々が協力してくださった。宇部でも官民色々な支援が始まっていた。

今回書き下ろした主題歌「この街に生まれて」は近々、某サイトを使って震災チャリティーの為の配信する予定。何卒みなさん、ご協力を!!

2011年3月14日月曜日


 11日は「武蔵野福祉作業所」でのコンサート。今年でもう4回目になる。初めてやらせて頂いた時の感動は小著『そして僕は、今日も歌おう。』にも書かせてもらったけれど、あれ以来の付き合い。
「まってたよ~」「今年も盛り上がろうーねー」


 嬉しい言葉をもらいながらコンサートスタート。毎年のようにとても素直に楽しんでくれていた。
・・・くしくも『 Where is God 』を歌い終えた時、揺れた。それは5、6分間。
「大丈夫だからねー!落ち着いて~っ!」
そういいながら、そのままだと飛んで行きそうなPAスピーカーをはずす。興奮と恐怖で騒然とした会場だったけれど、声掛け合って励ましあって抱き合って落ち着いた。
「情報を収集してきますから、分かるまではこのまま動かずに、陣内さんの歌を聴きましょ~っ」
センタースタッフもバタバタ。予定を変えてスローな曲を落ち着いて歌ったりして、サポートの馬原美穂にも最後手伝ってもらう。
「もう大丈夫だから、やっぱ楽しいのやってよー」
情報はまだなので、最後に楽しい曲をいくつかやった。とても盛り上がってくれたけど、どこかしら世の中が心配なみんな。スタッフの情報が知らされる。
「まだよくわかりませんが、交通手段が大変ですからいまから対策を考えます!」
あたふたした中でコンサートを終了。また来年もくる約束をして、とにかく教会へ。
一枚のガラスと、荷物や時計、飾りや本などが少々散乱していただけで済んだ。とても古い建物なのでもしかして大変かもしれない、と感じていたが良かった。。。

でも、「良かった」などとは簡単に言えないほどの被害が時間と共にニュース特番からわかってくる。遠方の弟経由で連絡がとれはじめて、やっと兄弟家族が無事なのをしる。でも、被災地には親戚も知り合いもいる。連絡は取れない。焦る。最近はじめたFacebookがとても役立った(竹善さんも大変そうだった)。ある程度の情報が入り始める。時間と共にその甚大な被害があらわに。

こんなときに何が語れるのか。悩みながらも受難節第1日曜日。
そして色々な事がつぎつぎと起こるので、宇部の稽古に行くのを一度は躊躇。でも演出の品川さんに説得されて宇部へ。21日の本番までに最後の通し稽古。もちろん皆さんも色んな意見や気持ちを抱えながら稽古。
「演っていいのか?」「メッセージを重ねよう!」「義援金を募るべきだ」「何かできることは」etc.

 今回の災害で、生まれ育った町がまるごとなくなってしまった知人がいる。自分の「故郷」を受け止めて関わっている今回の舞台だけに、考えることが沢山ある。

 東京にもどると電車は少なく、食料は無い、ガソリンは売り切れ、電気も暗い。
しかしなによりも避難している方々が、少しでも必要な「もの」や「こと」を手にすることができますように。


 各々できっと何かが出来るはず。皆さんもぜひ行動を起こして下さい! くれぐれも冷静に。 募金やチェーンメール、こういうときにはマユツバなものも沢山あるのでより確実な方法をとってください!!  

2011年3月7日月曜日

え?雪だ


 先週同様、教会の仕事が終わって飛び出してまたまた山口宇部へ。わりと温かいから薄着で行ったらなんと冷たい雨@宇部。でも本番までラスト2週間ということで、皆さんの練習には熱がこもってた。8歳から70歳代まで幅広い年齢層の出演者。思い出すと、3年前に比べると皆さんの反応の良さが際立つ。演出の指示、ダンスの指示がでると即反応。すごいなぁ~、進化しているなぁ。僕はというと、いまだにロボット歩き(笑)というぎこちない動きだし(^^ゞ ダンスはウマく踊れない~♫ し・・・
 打ち合わせのまま、夜深く打ち上げへ。いつも演劇系の写真↑に「後ろ頭」だけ写りこんでいる演出家の品川さん(東京ギンガ堂主宰)。高校の先輩でもある。同じ先生に習ったこともある。というか、同じ先生に鍛えられたことがある。その共通の先生をイメージした登場人物が出てくる(笑)。


 宇部出身の大先輩。女優でシャンソン歌手の藤田三保子(美保子改め)さん。舞台でも存在感がすごい。藤田さんの出演していた「Gメン75」は、初めて見る「大人の世界」だった。ちょっとした裏話がストライクゾーンすぎて貴重~っ。カッコイイ女性でいらっしゃる。さすが。



 2/28のブログの書き込みにあるように、演劇は映像化される予定。今までの舞台も含め入手方法を改めて告知の予定。

 って東京帰ってきて、今日の昼間は幼稚園でコンサート。かわゆく、そして楽しく盛り上がってくれて嬉しかったけれど、まさか雪とは・・・、さぶっ。